やぶはな

Everybody Needs Somebody to Love.

やっとタイトル出た?

「モーツァルト・イン・ザ・ジャングル シーズン2」を観る。
ベティがキーマン(ドヤ!)
と、その前に、
「モーツァルト・イン・ザ・ジャングル」第3シーズン決定
だってさ。
1年後が楽しみなんだぜ。

さてシーズン2だけど、アレだ。
ゲストが豪華。
本物の演奏家が本人役として登場しとる。
なんで卓球上手いのさ?
第四話Cパート(ラスト3分くらいから始まる)のおまけ映像にランランのピアノが映ってるけど、ざ、残像が見える・・・だと・・・

主役のハイライ(ヘイリー)は、就職決まってチヤホヤされて男をとっかえひっかえの鼻持ちならない嫌な女になり下がりましたねw
ルームメイトのベッキー(仮)は微妙に更生して肝っ玉母ちゃん(物理)ポジションで安定してきたのに。
生まれてこの方、のほほんとした日本人をやっている身としては、登場人物達が他人に我を押しつけて、期待した見返りが無いとブチギレて一方的に失望・絶望し、別の依存先を求めて一喜一憂する感覚は傲慢に思えて正直よくわかりません。
オーケストラは「調和」で成り立っていると思っているのデスが、「こんだけバラバラな人間をまとめ上げる指揮者スゲイ」という様に演出・構成上はみせたいのかもしれないけれど、これまでの生々しい舞台裏を性臭プンプンで描いてきたのに、いまさら「音楽には夢や希望が詰まっているさ。ハイホーハイホー~」とかへの持って行き方は違和感ありまくりだぜ。
なんて思っていたら、笑劇のラストシーン。
ロドリゴの後頭部に生えてるヒモ切ってしまえばいいのに。(「星の王子ニューヨークへ行く」のエディ・マーフィの様にな!)
もしかしてアホ毛が本体みたいなMIB(メンインブラック)案件デス?
ロドリゴにしても、楽団への愛着というか執着を口にすれど、そこまでこだわる動機の描写がいまいち説明されていないので、なんか残尿感が残るシーズン2でした。一話30分と見易い時間で製作していることによる弊害かもしれないけど。他の洗練された楽団からのオファーもあるし、なにより、自身が聴覚障害のときに楽団まかせで本番に臨むというプロフェッショナルにあるまじき恥知らずな行為を行うことは、ベートーベンもやってるからおk。みたいな免罪符持ち出したところで、楽団員や経営陣云々以前に客に対する裏切りだし、ついでに言えばシーズン1のラストの公演のこともあって、初犯じゃない。恥に恥を重ねている現状、さっさとロドリゴはニューヨークフィルを退くべきだと思うけどな。
とはいえ、勘違い女のハイライがどうなろうと知った事ではないが、ロドリゴにはスピリチュアルなアレコレから足を洗って健やかな音楽馬鹿になって欲しいと願うばかりデス。
シーズン3楽しみなのじゃ。
ところでロドリゴはタマに死者と会話する危ない人なのデスが、グリムガルで底辺労働者をやってるハル君も死人とよく語り合っていますね。

昔々「死人にシナチク」という小説があってね。挿絵をあさりよしとおが描いていてね・・・

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