やぶはな

Everybody Needs Somebody to Love.

誤差


黄金比っつーと1.618….と細かい数字が並ぶ割に、現実の建物では割とその精度は「なんとなく」なのが納得いかない。というか、イかせて欲しいのデスが、既に1948年に数学者によってその誤差は明らかにされている。細かい計算はだるいけど、実際に手を動かしてみると実感できる事があるのデス。
というわけでコルビュジェが1943年にボソボソ探求していたモデュロール(黄金尺)の基本形を作図してみた。
01 正方形abcd描く
02 辺abの中点eとcを結ぶ
03 ceを半径とした円弧cgを描く
04 対角線adを半径とした円弧dlを描く
05 ∠gflは直角
06 点g,f,lに接する円を描き、その中心kは辺ae間にあるglの中点その円の中心とfを結ぶ線と辺abの交点をkとする
(4/1訂正:モデュロール読み直したらkはglの中点とは書いてなかったよ。)
というのが当初の作図で、手描きする限り、それは真実のように見えた。
でもさ、実際CADで作図すると上記の05,06は誤差あるって分かるんだよ。
さて、今回の教訓だが、アナログとデジタルの間にある「絶対に分かり合えない感」に絶望するんだよ。
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先日このブログでトールゲートはその形態が象徴に変わることから、デザインはどうなっていくかと書いた。
でもさ、ちょっと考え直した部分があって、やはり「お金」の面から「形態は機能に従う」という一昔前のリバイバル大流行な昨今では「ゲート通過時の風雨をしのぐ」という機能面だけを不要としてゲートの排除へ流れるのは必至かと。
その前提としてGPSや無線ネットワークによる監視・管理技術の普及があるのだけれど、それは=(イコール)リアルにゲートが無くなるということであり、それによってケビン・リンチが「都市のイメージ」の中で唱えた5つの構成要素やクリスチャン・ノベルグの「ゲニウス・ロキ」のようなものが視覚的には消えてしまう。それって、神社から鳥居を無くすみたいな事かもね。
一方で電子データとして「目に見えない」ところでははっきりくっきり「領域」が設定される事になる。本質的にこれは「都市のイメージ」で提唱されるイメージ・アビリティのなかの「エッジ」に該当し、プログラムの書き方によっては、インターチェンジに該当する座標に「ノード」が設定されるかもしれないが、「エッヂ=ノード」にも成り得る。
その辺の属性は現代社会においては問題ではないが、リアル世界で都市の構成要素や土地の持つ地霊(歴史)が不可視化しようとも、その機能はより堅固にそこに存在する。
そこに、さらにメンドクセイ状況(燃料)を提供(投下)してくれるのが「アバター」の存在。
アバターを介してみれば、何も無い道路上に「ゲート」が見えるかもしれないのだから。
あるいは、人が、この「ゲートが見える」という感覚を切り捨てることができたとき、それが次世代への移行なんだろうな。
面白いと感じていることがあって、「中世」「近世」「近代」「現代」とか歴史をカテゴライズしとるけど、この先100年200年後に「今」はどうに呼ばれているのだろうね?

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